こころが晴れずに人と会うことさえつらくて家に閉じこもりがちな人、
家にひきこもり、学校や会社に行きたいのに行けない人、
人間関係に悩んでいる人、人と接することが苦手な人、
自分に自信が持てない人、 どこに居ても落ち着かず、焦りばかりを感じてしまう人、
仕事や職場、家事や育児のことで悩んでいる人、
「うつ」の気分からどうしても抜け出すことができずに悩んでいる人、
自分なんて居ない方がましだと、自分で自分を責めてばかりいて苦しんでいる人、
そして、そのような人を身近にご存じで共に悩んでおられるみなさん、
一度ぜひ「木綿庵(ゆうあん」の畑にお越しになってみてください。
一見、普通の畑にすぎませんが、そこには素晴らしい眺めと、夢と、可能性があります。
まずは、大和の国中(くんなか)を眺めながら
「ボ−ッ」とひとときを過ごしてみて下さい。
ひとり静かに葛城山・二上山・信貴山・生駒山に沈む夕日を眺めてください。
木綿庵は、「こころ」がうつむきがちになってしまった人たちが、
こころ静かにご自分の心と向き合える「居場所」でありたいと、
「居場所づくり」を目指して活動しています。
綿づくりに関心のある人や、こころ元気な人も、自然とのふれあいの場として、
ご利用いただければ幸いです。
木綿庵の畑では綿(棉・わた)を育てています。
もしよろしければ、時には畑の草引きを手伝っていただけませんか。
もともと大和国(奈良県)では綿作りが盛んにおこなわれていたそうです。
「大和の農業の最大の特徴は土地の生産力が高いことである。古くからかんがい施設が整い、干鰯・油かすなどを多量に使い、効率的な農業をおこなってきた結果である。こうした土地で、江戸時代には米・麦のほか、商品作物として綿花・菜種・茶・たばこなどを盛んに栽培していた。
雨の少ない奈良盆地では水田のすべてに稲を植えつけると農業用水が不足するため、その解決策として綿と稲とを一年ごとに交代で植えつけ、裏作には麦・菜種などを栽培した。綿花・菜種の生産量は多く、江戸時代から明治初期にかけて指折りの産地として知られた。
ところが幕末の開港以来、外国産の安価で良質な綿糸・綿花が入ってくると、大和の綿作は衰退に向かい、明治20年代に入るとほとんど姿を消してしまうのである。」
『青山四方にめぐれる国−奈良県誕生物語−』(昭和62年、奈良県発行、243〜244頁)より
木綿庵の畑で心をこめて大切に育てた綿やその他の農産物は
「天理やまのべ木綿庵」を通じて販売もしています。
(『収穫綿の販売』のページをご参照ください。)
〒632−0047奈良県天理市乙木町777番地
代表:梅田 正之 TEL:0743−67−0072
E−mail:asaoki_hataraki@yahoo.co.jp